石井 美保(人文科学研究所教員)
私は運動が苦手で、政治も苦手だ。あまのじゃくなので、自由も平和もそれほど素直に語れない。だから私は、運動の言葉で語ることも、政治の言語で語ることもできない。ではなぜ私はここにいて、何を話そうとしているのか。話せることはあまりないけれど、でも私は耳をそばだてている。私は聞きとったことを、誰かに託されたことばを伝えられる。それはたとえば路地裏のこと、畑のこと、保育のこと、学業のこと、老いのこと、つまりは暮らしのことだ。表立っては語られないかもしれないけれど、そこには不自由さと自由さ、戦争と平和のことも含まれている。耳をかたむけ、伝える準備ができているのなら、誰でも自分のことばで、誰かの声を伝えられる。託すことと託されること。それは暮らしのやりとりであり、また政治そのものでもある。私は誰に何を託すのか。誰から何を託されているのか。端切れでつくった小さな旗を掲げるように、それは私にとって暮らしの問題であると、ここでは言ってみたい。
岡田 直紀(農学研究科教員)
他人に迷惑をかけることなく、人は生きていくことができるだろうか。おそらく可能なのだと、大学に入ったころは無邪気に信じていた。
大学4年目の終わりころ、キリスト教会の交流プログラムの一環として韓国を訪れた。今は観光地となっているソウル旧市街の市場に当時は多数の縫製工場があり、地元のJさんの案内でその一つをのぞいた。狭い部屋には板で上下に仕切った中二階があり、換気の悪いその箱部屋に詰め込まれた10代前半と思われる女子労働者たちがミシンを踏んでいた。それを見たとき、思わず言葉を失うとともに、そのころ日本で売られ、自分も利用していた価格の安い韓国製衣料の意味を理解した。案内のJさんの兄は、女子工員の待遇改善を訴え続けた末、「私たちは機械ではない」と叫びながら抗議の焼身自殺を遂げた。1970年の11月、私がそこを訪れる9年前のことで、その時の私と同じ22歳だった。
商品の値段が安いことはよいことだろうか。グローバル化が進行した現代社会において、「手ごろな値段」の背後に考えをめぐらすことは、資源の輸入・消費大国に暮らす我々が忘れてはならない態度だ。40年以上前の体験から、今でも強くそう思う。理系の教員をしながら、折に触れてそんな問題意識を授業で述べてきた。当たり前のように消費している食料や電子機器の原料は、どのように生産されているのか。生産している人はそれに見合う報酬を得ているのか。常に目を凝らそう。
多くの国や人々が様々につながっている現在、自由と平和は日本の国内だけで完結するはずがない。この世界に住むすべての人に思いを馳せながら、有志の会の次の歩みを始めよう。
小関 隆(人文科学研究所教員)
「戦争は真っ先にわれわれの文化の中で始まる」、「文化の歪みは言語そのものの中で始まる」、20世紀を代表する歴史家にして平和運動の論客であったE.P.トムスンのことばだ。恣意的で不誠実な、もっともらしいだけで内実を伴わないことばの横行は、着々と私たちの想像力を蝕み、マヒさせる。ことばを徹底的に軽んじた最たる存在が安倍政権だろうが、同じような事態は大学でも進行している。「見える化」だの「内部質保証システム」だの「PDCAサイクル」だのという醜悪で空疎なことばへの同調が強いられ、文章よりもポンチ絵での説明が求められることに、いつの間にか私たちは慣らされてしまったのかもしれない。拙劣な外国語でよいからとにかく海外で研究成果を発表せよ、などという風潮にも、ことばへの敬意の欠如が露呈している。大学が文化殺しの現場であってよいのか?
もう一度トムスンを持ち出すなら、「ことばによる文化の汚染に抗う」のは大学人の責務に他ならない。偏屈者呼ばわりされることくらい、覚悟すべきなのだろう。
駒込 武(教育学部教員)
銅鑼湾で催涙弾にさらされながら歌われる「香港に栄光あれ」と、アトランタで警察官に踏みつけられながら発せられるBlack Lives Matterのうめき声を同時に聞き届ける耳を持つこと…。グローバルな新自由主義が「新帝国主義」とも呼ぶべき時代状況を作り出す中で、本質的な対立線は覇権国家としての中国やアメリカのあいだにではなく、帝国-資本-国家の三位一体とふつうの人びとのあいだに走っていることを見定める想像力を持つこと…。覇権争いのどちらにつくべきかとしたり顔で「解説」したり「損得勘定」をしたりするのではなく、覇権争いのゲームには回収されない場所への構想力を守り育てること…。帝国の中枢から首相官邸を経由して大学本部へと直結する弱肉強食の原理に対して、この野蛮で酷薄な原理に対峙するための論理と関係性を生活のただ中で鍛え直すこと…。
そうした地道で、しかし貴重な作業に対して知的・物的リソースを提供する潜在力を、いまなお大学に期待できるだろうか。見通しはきわめて暗いものの、そのような場所として大学は再生しうるのだと信じたい。
小山 哲(文学研究科教員)
大学という場所のよいところは、ラディカルにものを考え、議論することが許されるだけでなく、むしろ推奨されることだ。ラディカルに考えるとは、「ものごとの根源から考える」ということである。
根源から考えようとすると、問題の存在そのものを疑ってみたり、歴史をさかのぼって調べたりしなければならず、そのためには手間も時間もかかる。そういった思索や検証の道筋は、往々にしてわかりやすいものではないし、結論もかんたんには出ない。言い換えれば、TVのワイドショー向けではなく、効率が悪い。しかし、根源からものごとを考える力を失った社会は、表面的な現象に目をうばわれがちになり、深い次元で起こっている変動を察知したり、ものごとの奥底に隠された意味を読みとったりすることができず、結果的に、その社会が直面する問題を根本的に解決することができない。
大学で、ものごとを考えたり、組織のあり方を決定したりする主体は、学生と教職員である。しかし、大学が社会のなかに位置する以上、市民が大学という場の特性を利用して、学生や教職員と交流しながら、そこでラディカルに考えたり、議論したりする機会を日常的にもつということが、もっとあってよい。
大学は「即戦力となる人材の育成」のために「わかりやすく、役に立つ情報」を「効率よく」学生に供給する装置であるべきだ、という有形無形の圧力は、京大有志の会が発足してからの5年間にますます強まっている。大学の運営や研究の方向を財界や政権の意向に沿うように誘導するいろいろな仕掛けも、さらに巧妙に、回避しにくいかたちで整えられている。それでもなお、いや、そうであるからこそ、私たちの会は、大学という場所の根源に立ちかえって、ささやかではあっても、学ぼうとする人びとがともに集い、ラディカルに考え、議論する、開かれた「ひろば」を構築し、自由な発想から生まれるさまざまな声を社会に発信し続けることをめざしたい――新しいメンバーを迎えて次の一歩を踏みだす地点に立って、あらためてそう思う。
竹田 響(人間・環境学研究科・博士後期課程)
私が初めて京都大学を訪れたのは、2015年夏だった。初めて降り立った東一条通りには、びっしりと立て看板が並んでいた。サークルの宣伝を行っている看板もあれば、立てかけた誰かが感じたであろう事柄がただ羅列してあるだけのものもあれば、はたまた社会問題に対する強い主張が書かれているものもあったが、これが京都大学の持つ「自由の学風」なのだと強く感じた。
それから2年後、大学院生として京都大学に入学して以後、大学の周りの「景観」を問題として、長年あった立て看板が並ぶ光景は一夜にして消えた。今在籍している学生の半数は、立て看板がびっしりと並んでいた時のことは、もう知らない。
2020年8月、日本では首相が辞任を発表し、翌9月には新たな政権が生まれた。首相が辞任する前はあれほど騒がれていたはずの、官邸を取り巻いていた数々の「疑惑」は、まるで嵐が過ぎ去ったかの如く、一瞬にして消えた。
「トップダウン」で忘却が進む今日の社会において、大学に身を置く一人として、地域社会、そして市民と共に、「過去」となる事柄を記憶から忘却させないように、対話を通した模索をしたい。そのような対話の場として、また普遍的な自由と平和について議論する場として、この「ひろば」が更に発展することを願って。
田中 陽子(北部構内事務部職員)
学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
(声明書より)
事務職員として教員や学生と一緒に過ごしてきた京都大学が好きでした。
ですが、法人化以降感じる窮屈さが、圧迫感が、ここ数年勢いを増して強まっていることに不安と悲しみがつのります。このままでいいはずはないのです。
大切なことは諦めずに声をあげ続けたい。知らなかったで済ませてはいけない。
考えることをやめてはいけない。
当たり前と思う日常が決して当たり前ではないことを心に留めて、
有志の会を通じ、様々な人と出会い、ゆるやかに、学び続けたい。
有志の会が結成されてから5年が過ぎました。今までの活動の輪をさらに広めていきたいです。
福家 崇洋(人文科学研究所教員)
いま、「声なき声」と「現場」という言葉が気になっています。「声なき声」とは、物言わぬ大衆のことですが、国家や社会のなかで物言えぬ境遇に置かれた人びとの「声」を指す言葉としてとらえたいです。私は、一歴史研究者として、物言えぬ人びとの「声」に耳を傾けながら、彼らと交わした言葉を、物言わぬ大衆がいる社会へ届けていきたいと考えています。その際、重要なのが「現場」です。「現場」とは、当事者がいま・ここで体験しうる固有の世界であり、歴史の源泉でありながら「大きな歴史」からこぼれ落ちていくものです。「現場」を顧みずして、物言えぬ人々の「声」を聴くことはできません。この「現場」を埋もれた資料や証言を通して共体験しながら「声」を理解し、そこに込められた問いを別の世界へ伝えていくのが、歴史研究者としての対話であると考えます。この対話を通して、物言えぬ人びとから「声」を奪ってきた国家や社会、学知を批判的に検討し、「現場」からの「声」が届きやすい世界を実現していきたいと考えています。以上、「自由と平和のための京大有志の会」が次の歩みを進めるにあたって、さしあたりのエールとさせていただきます。
藤原 辰史(人文科学研究所教員)
これだけ人びとが疲弊してもなお、監視の強化、株価の変動、トップダウン、コストカット、共有すべきものの私物化、言論の自由の制限など、旧態依然としたものにとらわれ続けている人たちが、世界や国や地方自治体や大学を率いている。こんなにも古すぎて、知的にも美的にも耐えられないものは、世界でうねりとなりつつある人間をあらゆる古い桎梏から解放しようとする動きによって、やがて葬り去られるだろう。自由な思考によって、誰もが生きやすい場所を創造するという私たちのプロジェクトは、このうねりを力でねじ伏せようとする人たちがいるかぎり、終わることはない。
細見 和之(人間・環境学研究科教員)
1980年に大阪大学に入学し、自治寮を守る当時の運動、そしてそれと関わるさまざまな活動の末端に身を置くことになりました。自治寮に関しては無謀な100時間ハンストも試みましたが、最後は、寮の玄関に座り込んでいる私たちを機動隊員が引っこ抜き、クレーン車が寮の建物を文字どおり解体してゆきました。大学の教員になってからも学生時代の延長で1990年代終わりまで、集会やら研究会に関わっていました。しかし21世紀になって、世の中は私たちが望んでいたのとは正反対のものにすっかり姿を変えてしまった印象でした。自分が20年間やってきたことが見事なしっぺ返しにあったような思いでした。2016年にこちらに着任して有志の会に出会ったとき、1990年代とはまた違った新しい風を感じました。もはや学生時代の延長ではない感覚で、だからこそ何かができないかと考えています。
松田 素二(文学研究科教員)
強く命令されるとひとには反発する力があります。しかし誰からの命令だと意識することもなく、自分から自発的に服従すると、それが命令なのか、自分自身の声なのかがわからなくなりがちです。そして現代社会には、こうした自発的な服従を導く優しくソフトな命令や指示が充満しているようです。そうした状況の中で、「自分の考え」で他者や隣人の生きる権利を侵害したり、ときには暴力的に攻撃したりします。それはほかでもない自分自身の意思であり、自由な決定だと思いこんでしまいます。
大学でそれぞれの専門分野の専門知識を学ぶこと以外に、大切な学ぶことがもうひとつあるとすれば、それはこうしたひとに自発的服従をもたらす優しくソフトな命令や指示を見つけ出すことです。そしてその命令や指示に従った自分の行動や思考が自由な意思であるという思いを厳しく見つめなおし、こうした命令を発するシステムを創造的に批判的に変革することではないでしょうか。そこから自由ははじまります。
松本 卓也(人間・環境学研究科教員)
2016年から京大の一員になりました。自由度の高いところもありますが、窮屈だなぁと思うことも少なくなく、学生にも窮屈な思いをさせていることも多いのではないかと思うようになりました。いろいろな場所で、少しずつ違和感を話していると、多くの同僚や学生からも「実はこんな不満がある」という声を聞くことができるようになりました。そんな話ができた人がいるだけで、勇気づけられる気がします。勢いあまって、2019年の11月祭では「ここがダメだよ京都大学」という自主シンポを主催し、多くのひとびととつながることができました。
「大人はつべこべ不満を言わず、自分がやるべきことを粛々とやるべきだ」というのもひとつのありうる考え方でしょう。でも、自分が感じた違和感をちゃんと言葉にすることのほうが、もっと重要だと私は思います。なぜなら、そのほうがひとのつながりができていくからです。一緒に、「文句を言える空間」を大学と社会のなかにつくっていきましょう。